痴人の親




痴人の親



 オリジナリティにこだわる性分です。こだわりすぎかも。両親の影響がありそうだと、ある時気づいた。親に倣ってというわけじゃなく、実を言うと反面教師としてなのだけど。

 父親は十年以上前に死んだ。母親は施設に入っている。今は実質的に関わりがない。

 うちの親は自分のこと、過去にやってきたことを話さなかった。なぜ自分のことを話さなかったのか。自分の意見や考えを持っているようには見えなかった。小さい頃はそれに気づかず、疑問も持たなかった。時には変に思うことがありはしたが。

 違和感を覚えたのは、二十歳頃、映画をよく見るようになってから。映画の中の親は自分の考えをしっかり表現し、自分の意見を主張する。自分の子供に教え諭す。自己主張のかたまりのような米国人が作る映画は特にそうだった。日本映画からだって「親の意志」というものはかなり感じ取れた。映画の中だけの特殊世界かと最初は思った。

 両親は教育に対する考えも持ってなかったから、躾はいいかげん。叱り方は下手。考えのない人が叱ったって、その中身はないに等しい。教育ポリシーはないが、あるとすれば「世間に出しても恥ずかしくないように」ぐらい。そのわりには世間的な常識観をきちんと教えていなかった。礼儀作法全般についても厳しく言われたことがなかった。それに由来する非常識な言動は大人になってからも残った。何も知らず、今まで周囲にどれだけ失礼な対応をしてきたことか。思い返すと恥ずかしくなる。

 自分でいろいろ経験して失敗から学ぶしかない。親はあてにならないから他人のリアクションから言動を修正した。試行錯誤だからいろいろ無茶をやり、相手を傷つけることも少なくなかった。トラウマを残させるような刺のある言葉を平気で口にした。頭おかしいんじゃないかと思って精神科受診を考えたこともある。

 両親は「自分」というものを持ってなかったと今は思う。何も考えてないから、人が何かを思い、考え、欲求し、生きていることがわかってなかったんでしょう。僕という人間を理解することはしょせん無理。

 こんな両親は世間で普通なのか、特殊なのかはいまだによくわからない。おそらく、特殊というほどでもなく、普通というものでもないだろう。親は自分のことを話すべきだ。考えが足りなくても考えたことを口にすべきだ。でないと生きてきた意味、ないんじゃないですか。

ひょっこり通信 2014.2.16




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